祖父が亡くなり、お葬式を執り行う

3回目になります。
前回に引き続き、備忘録的なものなのでご興味のある方のみお付き合い下さいm(__)m

祖父が亡くなった当日の午後、葬儀屋さんとの大まかな打ち合わせが終わった後に祖父の家に立ち寄りました。
母がごくごく近い親戚(同じ都道府県のみ)に訃報と告別式の連絡をし、私は祖父がお世話になっていた施設へ告別式の詳細を電話にて伝えました。
施設の人はお悔やみの言葉を述べた後、死亡原因を聞いてきました。
医師の死亡診断書には心疾患(推定)と書いてあったので、死亡時刻と共に伝えました。
多分、施設側で書く書類の中に死亡原因を書く欄があるんでしょうね。

さて、翌朝。


喪主である叔父さんと葬儀屋さんにて合流。
具体的に葬儀の内容を詰めていきます。
通夜はありませんし、お昼を挟んでの葬儀ではありませんので『精進落とし』の選定をするのみ。
このご時勢(これを書いているのが、コロナの影響を受けている2021年)なので、無難なお持ち帰りも可能な折詰弁当にしました。
併せて、このご時勢故にアルコールなしのソフトドリンクをお願いしました。
会葬礼状&引き出物の数も家族葬ならではの最小限で注文(後で返品も出来るようなので、若干数に余裕は持たせました)
叔父さんは昨夜祖父の家に到着後、遺影に使うためのアルバムを見繕ってくれていたようで、何冊かがミーティングルームのような個室に置かれます。
とはいえ、すでに叔父さんおすすめの写真が選定されていて、母と私はそれに同意。
着せるものは選べるようで、スーツのような堅いものではなくて普段着のようなラフなものをお願いしました(最近はカジュアルな格好の遺影が多いそうです)
棺に納めたい個人愛用品は叔父さんがセレクトするそうなのでOK。

火葬場等への送迎車(マイクロバス、タクシー等)は自家用車乗り合わせで何とかなる予定なので頼みませんでした。
母は着物の喪服は着用しませんので、着付けの手配は不要。
告別式の受付は葬儀屋さんが引き受けてくれるそうなので、親族への依頼は不要。
要所要所の挨拶や発声(献杯等)は叔父さんがするので、親族への依頼は不要。



こんな感じで葬儀屋さんでの打ち合わせが終わりました。


そして次にお世話になっている菩提寺に向かいます。

葬儀屋さんが訪問の旨を事前に伝えてあるようで、すんなりとお寺の中へ。
祖父の思い出話や、供養のこと、昨今のお寺やお墓事情や近所の空き家問題等色々とお話をしました。
参考資料として、お布施(葬儀の他、四十九日の分も)のおおよその目安額が書いてある紙も渡してくれました。
いくらお寺が


『お気持ちだけでいい』


と言っても、お寺や住職以下お坊さんも食べていかなくてはいけないので、双方にとってこのような紙は助かりますね。
頭を悩ませますから…
葬儀の段取りだけでなく、この時点で四十九日の日程も決めたので、無駄のない効率的なやり取りになりました。


その翌日(祖父が亡くなってから2日後)告別式が始まる1時間前に、私の家族と一緒に葬儀会場へ。
受付にて御霊前(3万円)を渡します(祖父母に渡す相場を調べたら、そのくらいだったので)
母と叔父さんは喪主側なので、御霊前はなし。


本来なら告別式までの時間で納棺をするのですが、既に納棺は諸事情により済んでいます。
なので、ひたすらその間フリータイム。
下手に自由時間が出来ると、生前の祖父のことを思い出してセンチメンタルになるのでヤバいですね。
やることと言えば、叔父さんの家族や、早めに訪れる弔問客のお迎えを少しするのみ。

喪主は住職が訪れ、告別式が始まる前のこのタイミングでお布施を渡す人も多いようです。




告別式の時間になり、司会進行に沿い、住職の読経が始まります。
葬儀の読経とお焼香。
併せて、今では一般的になりつつある、初七日の読経とお焼香。
一通り終わると、次に棺の中へ個人愛用品やお花等を入れていきます。

そして出棺。

叔父さんが霊柩車に同乗。


後は各自、骨壺や遺影諸々を自家用車または乗り合わせで運びながら、火葬場へと向かいます。
母は自分の車で。
私は東北の従兄弟達を乗せ、一路火葬場へ。
到着後、最後のお別れの後、火葬の装置(?)に吸い込まれていく、祖父。



火葬している間、精進落としの料理が振舞われます。
告別式はお昼過ぎでしたので夕食用に持ち帰る方もいらっしゃいましたが、私はお昼を食べていなかったので食べました。
というか、それしかやることがないんですよね。
時勢柄(これを書いているのが、コロナの影響をかなり受けている2021年)なのか、まるで学校の講義スタイルのような席で、皆で黒板を見つめるような感じ。
当然、そんな感じならただでさえ盛り上がらない話が、尚盛り上がらない訳で…
途中、それなりにお話好きな親戚のオジさんが話をしていましたが、そのオジさんがいなければ無音だったかも…しれない。


ともあれ、そんな長い長い時間(大体1時間半くらい?)を終え、収骨室へ。
祖父は生前体格が良かったからか、骨はとてもしっかりしていましたね。
戦地へ行ったこともある、とても丈夫な人でした。
だからこそ、男性としては珍しい90代まで生きられたんだろうな、きっと…
足の手術で入れていた金属も高温に耐えて、そのまま残っているのを見ると、何とも言えない驚きがありました。
私は従兄弟とペアで収骨。
その後、骨が入った骨壺は重いので、男性の叔父さんが持ち、他のものは近しい親族が手分けして持ちます。


私は従兄弟達を自分の車に乗せ、菩提寺に寄ってから、お墓に行き住職立ち合いの元、納骨。
叔父さんがお墓を開けて(別に専門業者じゃなくても良いらしい)納めました。
そしてちょっとしたお菓子を供え、納骨に居合わせた人達で、その場で食べ終えます(供えたものを持ち帰るのはダメらしい)



叔父さん以外の従兄弟達は駅までタクシー、その後それぞれの帰路へ。
叔父さんはしばらく祖父の家に泊まることに。
私達家族も、帰ることに。

こうして一連の葬儀はとりあえず無事に終わったのです。

改めまして、自己満足な備忘録を読んで頂きましてありがとうございました。


























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