承認格差とは、人が社会の中でどれだけ『認められるか』に違いがあることです。
例えば同じくらい頑張っているのに…
伊集院君=A評価
鈴木さん=C評価
こんな感じである人は評価され、別の人はイマイチ認めてもらえないようなケース。
まぁ『頑張っている』というのも色々種類があるでしょうし…結構あやふやで曖昧。
すぐ結果が出る部分と出ない部分(合理的な人はコスパ重視で効率よく頑張るんだろう…)
主観的・客観的という点も見逃せないか。
ともあれ…
このような差は、学歴、性別、年齢。
特殊例(?)として、今は使い物にならないけど将来性を見込んで…とか、社長の親戚だとか本当に様々過ぎて書ききれないくらいの理由で『承認格差』は爆誕します。
考えてみれば、人間が成長する過程でこの『承認格差』はたくさん経験しますよね。
学校なら、クラスのリーダー的存在の人や成績の良い人ばかりが蝶よ花よ!みたいに褒められ、その他は空気(みたいに注目を浴びない)とか。
私は学生時代に運動部だった時期があるのですが、運動部はまさに『承認格差の泥沼』でしたわ。
まぁ、弱肉強食なので仕方ないっちゃ仕方ないんですけどね。
…万年補欠当事者としては辛いところ。
そして…
会社であれば、同じ仕事をしていても正社員の人は尊重・尊敬されるのに、アルバイトの人は極端に軽んじられたり。
※同じ労働内容なのに立場だけ違う、というのを私も実際見てきました。
『認められる人』と『そうでない人』の違いが、『承認格差』です。
少し話が逸れてしまうのですが『承認格差』を大きなテーマとして扱っていると感じる漫画が…
↓『創世のタイガ』です。

私は連載誌でちょくちょく拝見させて頂いてましたが、良い意味で荒唐無稽。
現代のどこにでもいそうな青年が、タイムスリップ!?
マンモスの歩く太古の風景が眼前に広がる。
生き抜くため、原始の世界で青年は目覚めていく!
というストーリー。
シチュエーションはトンデモですが、リアルなんですよね。
よろしければご覧あれ!
さて、話を戻しまして。
この問題が大きく広がると…
「どうせ頑張っても、あのハゲ部長の給料には到底追いつかないんだが?」
「まぁ、来世に期待だなw…望み薄だけど!」
といった感じで、認められない人が自信を失ってしまうことがあります。
そうなると、社会全体が不公平に。
本当はとてつもない力を秘めていても、活躍出来ずにグズグズに腐っていくリンゴ…(ダイヤモンドの原石が石コロ扱いになっているとも言う)
これは社会にとって大きな損失になるでしょうな。

この問題を解決するには、月並みですが…
『特定の人だけでなく、広く様々な人の頑張りを認めること』が肝要。
…まぁ、その。
これを言っている自分が指摘するのもアレですが、正直綺麗ごとだわな~とは思います。
『承認格差』と『所得格差』少し転じて『お金』は、必ずしも連動はしません。
しかしながら…
学生まではともかくとして、社会に出てからはやっぱり『お金』にまつわるアレコレは蜘蛛の巣のように『○○格差』に癒着しているような気がしてならない…
…知らんけど!(知らんのかい!)
皆様はどう思われますか?
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