私は藤子・F・不二雄先生のファンで、『ドラえもん』という作品の大ファンでもあります。
好きなお話は星の数ほど。
語り出すと体力の続く限り止まらない自信があります。
それほど私の人生に密着というか伴走し続ける偉大な作品です。
その中で…はるか昔、子供心に印象的だったものを1つご紹介したく。
『ドラえもん(16)』に収録されている『パパもあまえんぼ』というお話ですね。
すっごく端的に言うと…会社で嫌なことがあって辛いパパ。
ムシャクシャしているし悲しく辛いパパを、タイムマシンを使って生きている母親(のび太のおばあちゃん)に会わせることに。
母親に感情をぶつけて甘える、成人男性
※多分ここが一番漫画的に描きたい場面なのでは?と思う
ドラえもんが言う…
「おとなって、かわいそうだね」
「自分より大きなものがいないもの。よりかかってあまえたり、しかってくれる人がいないんだもの」
という言葉は胸にグッと来る。
賛否両論だと思うし、白黒キッチリつくものでもない曖昧なこと。
だからこそ、印象に残っていたんですよね。
個人的には最後にのび太がパンを咥えている表情がお気に入りです(マニアックでスミマセン)
短いお話なので、是非機会がありましたらお読み下さい。
このお話…幼い頃、確か単行本よりも先にアニメで知ったんだよなぁ。
お若い方には馴染みがないかと思いますが、まだ大山のぶ代ドラの時代。
さて、突然ですが…
ほんの小さい子にとって、親は自分の世界の大部分を占めていますよね。
成長して親の庇護から徐々に抜けていくまでは『親』とは完璧ではないかもしれないけど絶対の存在…みたいなところってありませんでしたか?
自分を思い返してみると…親や親に代わる大人の存在っていうのは、底知れぬ偉大さ・もしかしたら多少の畏怖を妙に感じていたような気がする。
そんな親が、弱みを見せる。
それが、それだけが『パパもあまえんぼ』のメイン。
当たり前ですが、今の大人は昔は子供だったんですよね。
「大人なんだから常識でしょ…」
「いい歳こいてみっともない…」
「結婚したら、子供が出来たら…もっとしっかりしなよ!大人として恥ずかしい」
みたいなことを直接的にしろ、間接的(無言の圧力等)にしろ感じたことがない人っていないくらいだと思う。
よく自虐かのように…
「自分は、精神年齢が14歳のまま歳取ってるんだよ。中身はなーんも変わってない」
というようなことをおっしゃっている方がいます。
これって別に自虐でも何でもなく…
ただ自分なりの素直な自分への評価というか感じ方なんですよね。
年齢がいくつであろうと『その人』のあり方や魅せ方・本質・本性って結局本人のもので、本人しか分からない。
まぁ、何が言いたいのかというと…皆同じ人間なんだってことです(ざっくり)
人間の子は、最後まで人間の子なのです。
よく分からん呟きを残して、本日はこれにて。
コメント
なつかしい・・・「いじわるな部長がボクをいじめるんだ」って場面ですね。
ここからYoutubeの「Friday night fantasy」あたりで、純粋で親の庇護下にあった昭和にタイムスリップです。すっかり人の心の裏ばかり読む汚れた大人になってしまいましたが・・・
まさにその場面です!
皆、同じ人間である&自分もいつか大人になって同じ目に合うんじゃないかという恐怖等々…幼いながらに色々考えた記憶が。
先ほど久しぶりに「Friday night fantasy」YouTubeで聞いてきましたが、懐かしさが止まらない…動画配信とかなかったものなぁ(←別の懐かしさ)
永谷園さんがおっしゃる通りの、なりたくなくてもならざるを得ない大人の姿に私自身なっているんだろうなぁ。
ついつい黄昏れてしまうこの頃。