某日、昼下がりのファミレスにて。
老婦人「本当に毎日することがなくて、掃除しているんだけど…電話も鳴らなくて」
と張り合いがなさげな一言が耳に入ってきました。
場所は変わりまして、住宅街の道端にて。
高齢女性A「こんにちは~」
高齢女性B「こんにちは。はぁ…本当やることがなくてねぇ。喋ることもないし」
という会話をする、60代~70代くらいのご婦人方。
こういう人達の何割かは、近所の噂話やスキャンダルを肴に日常を楽しむんだろうなぁと思います。
あそこの家の息子さん、最近朝に車で出掛けなくなったわよね、とか。
娘さん、不規則に出掛けるけどどうしたのかしら?とか。
でも、それ以外の人はこのような日々をどう捉えているのだろうと、つい考えてしまう私。
これがきっかけで今回の記事を書くに至りました。
正直ここまでで
『高齢の人のそんな台詞聞き飽きたよ…どこぞで何度も繰り返し聞かされた記憶がある』
という方も多いかと思います。振り返ってみると、皆様の周囲、もしくはご自身からこぼれ落ちていたり。
つまりこの『暇で仕方ない問題』は巷で溢れている特に珍しくもない悩みということ。
とはいえ、いつまで自分が生きるか分からない等の老後不安からあまり派手にお金を使うことにも後ろ向きだったり…(筆頭は豪華な旅行とかでしょうか)
『暇なら…じゃあ、バイトでもすれば?』
という意見があると思います。
しかし、本人からすれば『でも』という気軽さでは出来ない心境なのかもしれないですね。
その年代なら尚更。
まだシャキシャキ動ける方はともかくとして、ある程度体が老化していると
『時間たっぷりあるし、ちょっとバイトやってみよっかな♪』
で手を出すのには躊躇いがあるのではと思います。
60代ましてや70代の人。男性ならまだ選択肢は多そうですが、女性ともなると、かなり職が絞られそう…
ぶっちゃけ清掃や介護職等のイメージが強い。
スーパーのレジも極端に高齢の人はいないかも…(あくまで個人的主観)
シルバー人材センターだって、草刈や剪定は男性のイメージだしなぁ…(;´∀`)
そしてその年代は、男女問わずプライドが高い人はとことん高いと思うんですよ。
『俺は元・大企業の役員で』
『私はその夫人で』
みたいに。
そんな大層な経歴でなくても、過去の肩書きや今まで築いてきた輝かしい経験や人間関係に引きずられたりしている可能性はあります。
もちろん、本人が意識しているか無意識かは問いません。
そうなると、少なくとも『雇われる仕事』には抵抗感が強い気がします。
…私の体感ですが、トイレ掃除をしているパート(?)高齢女性で生き生きハキハキしている人をほぼ見かけたことがない気がします。
…黙々。ひたすら、黙々。
概ね不本意ながら働いている…ように見受けられます(※私の色眼鏡です)
今までのキャリア、経験と180度違う仕事(しかも選択肢少ない)を怒られながら、思うように動かない頭と体に鞭を打って働くのって幸せ…?果たしてそうなのだろうか…とふと思うんです。
少し話はズレますが…
バリバリ管理職→再雇用(新卒と同じ給料)
とかでも、プライドが許せなくて結局会社離脱者も多そうなのに…
例えそのプライドを押し殺して再雇用期間を勤め上げても、それ以降の人生もまだまだ続く訳で。
その後はどうするか、さて?
やはり『雇われ仕事』を人生の主軸に置くのは、金銭面で不安定という以外にも精神的な部分でリスクがあるのかなと感じます。
他に自分が好きな、あるいは得意な副業の道を用意しておくとか…モノ作り等は趣味と実益ですし。
そして一生涯続けたい趣味があるのは(もちろん、老後に見つけるのも全然あり)人生の彩りの面で必要だと考えます。人間らしい生活って重要。
特に何も…という方は、地域の図書館やホール等に趣味になりそうなパンフレットや掲示板(〇時から○○教室開催予定等)があることが多いので、思い切って飛び込んでみるのもいいかも…お友達の縁も出来るかもですしね。
楽しいことや夢中になれる軸が一つでもあると張り合いが生まれ、いい日常のサイクルが出来ると思うんですよね。
それがきっかけで派生するかもしれない新たなコトも、かけがえのない趣味になり得ますからね。
話がまとまらず何だか若輩者が語っちゃってますが、最後までお付き合いありがとうございましたm(__)m
コメント