奢る意味を考えてみた結果

奢る…と聞くと『男が女に奢る問題』がよく取り上げられますよね。
まぁ、概ね皆様はどちらかの性別に所属しているので、ネタにしやすいというのもあります。

(あいつ、財布すら出さねぇ…)

(せめて、お金を出す姿勢くらい見せてくれよ)


(奢られて当たり前って感じで、何様だよ)

そういった男性陣の心の声はネットに溢れています。



ただ、私の体感としてはそういう女性は結構レアというか、思っているほどそんなにいない気がします。

バブリーな時代のまま現代を生きていたり、昔から男慣れ(というと失礼かもしれませんが)していたり、後は天性の甘える才能があったりと…そういう人ももちろん存在していることはしています。
もちろん、お互いの親密度具合も大きな要素の1つ。

しかし、シビアな時代が続いている中、男女ともにお財布事情が厳しいのは当然女性側だって分かっています。

逆に、そんな厳しいご時勢に女性に食事などを奢る男性がいると、むしろ嬉しいというよりも…

(何か裏がある?)

(ビジネスに利用するとか?)


(下心とか遊びの為の下準備?)

そう勘ぐる女性も珍しくないように思います。
実際、そのような要求を飲み込ませやすくする土台作りの意味を込めて『奢る』方もいるでしょうし。

上記のように考える女性は…男性からすれば謙虚で気楽に接することが出来る人だな…という印象になるかもしれませんが、実際は、うーん…人によるかもなー。

例えばコーヒー一本の奢りですら、そこに上下関係のようなものが生まれてしまう。
意図してもしなくても、マウント取りのような…
上司や部下のように元々分かりやすい上下関係があれば良いですけどね。


だから、自分の分は自分で払うよ…
『あなたに借りは作らない。つまり、私への貸しは作らせない。あなたの思い通りにはならない』
というように遠ざけて防衛というか、距離を置く感じに。
なので、皮肉にも気楽や親しみやすいというところからは遠くなる訳で。
それは良くも悪くも、ですが。

これは別に、わざわざ男女別でなくても当てはまることですけどね。
『奢られること』に軽くストレスを感じた時の話も併せて読んで頂けると、共感する部分がある方もいらっしゃるかもしれません。

とはいえ、相手より優位な立場になりたいからとか、仲良くなりたいから(下心含む)という打算の意味以外にもあります。

それは、日本古来の慣習(?)として奢るパターン。

実例を出しますと、私が20代の頃。
会社の仕事が終わってからの延長戦。
企業の看板を背負って休日に参加するお祭りの準備を、若手中心にしていたことがあります。
例によって、残業代などもらえずに美しいボランティアですよ(;´∀`)地域貢献スバラシイナ…


その最中に当時30代であった女性の先輩が、皆にお菓子を差し入れしてくれたことがありました。
恐らく1人あたり100円以上は少なくとも使っていたんじゃないかな…
それを少なくとも十数人に大盤振る舞い。
夜に差し掛かった時間の空きっ腹に嬉しい反面、少し申し訳なくも感じました。

(事務職で、かつ、男性と比べたら給料は雲泥の差だろうに…気を遣わせてるなぁ)


ありがたく完食しましたが、これはやはり先輩から後輩への慣習なんでしょうね。
彼女が内心どのような気持ちだったのかは分かりませんが。


ただ1つ言えるのは、奢るという行為は義務や習慣、打算的な面も含めて、相手に興味があるからこそ実行するのは確か。

彼氏彼女の関係や親しい友達でもいいですが…

(本当は時間を掛けて、素敵な海や灯台の見える穴場ビュースポットに連れて行きたいけど…忙しくて)

(手編みのマフラーや、手作り料理やお菓子を作ってあげたいけど、今は仕事の大事な時期で)



(忙しくて一緒に遊びに行けないな。せめてちょっと食事でも誕生日に奢っちゃるか!)

時間や手間の代替、埋め合わせ。罪悪感から奢る(プレゼントする)というのもあるんじゃないかなーと。

『奢る』行為に込められた意味、気持ちは多種多様なんだろうなぁ。

取り留めもない雑談、失礼致しました。
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました!

コメント

  1. 永谷園 より:

    自分は目上の人間以外には、面倒なので奢ってしまうタイプですね。
    他人を懐柔しようとか下心ではなく、単に支払いでごちゃごちゃするのはスマートではないので嫌なだけです。
    本来、奢ることに見返りなんて求めるものではありませんしね。

    奢って見返りを求めるのは、途上国に旅行した無教養な観光客が、感謝もせず当然のように受け取る一部の物乞いに対して、
    「恵んでやったのに感謝しないのはケシカラン」なんていってるのと同じですよ。
    もっと大局的なものの見方をしている彼らにとって、ものを施す人間は「偉大なる何か」の代理人に過ぎないわけです。

    「あなたに借りは作らない。つまり、私への貸しは作らせない。あなたの思い通りにはならない」

    上記のように奢られて貸しに感じるタイプの方は、奢られたら自分も同様に「偉大なる何か」の代理人だと思って全く別の誰かに奢ってあげればよいんですよ。
    それで感情的に相殺してしまうわけで相手の思い通りにもなっていないわけです。
    誰のものでもないような金は世に還流させてしまうのが道理です。

    • ある より:

      確かに割り勘作業は、大変ですよね(;´∀`)
      ファミレス等でマダム達の割り勘の暗算やりとりを見かけますが、人数が多ければ多いほど面倒くさそう…
      電子マネーとか割り勘機能があるみたいですけど、誰でも使っている訳じゃないしなぁ。

      おっしゃる通り、奢り=具体的な見返りはそれこそ驕りというか、何というか。

      人それぞれ奢れる余裕の範囲(金額だったり交友範囲だったり)が違うと思いますが、自分が納得して「別になくなってもいいや…」と思えるくらいで止めておかないと、見返りを期待してしまう人が世の中多い。
      私も、分不相応だとそうなってしまうと思います。
      無理して自分を大きく見せようとしていると、これだけ自分は頑張ったんだからご褒美チョウダイよ的な。
      これはやはり、個人がいる環境や性格にもよるんでしょうけども。

      ちなみに私も、奢られる=借りを作ると考えてしまうタイプですね。
      金は天下のまわりものとも言いますし、いつかもっと大人(?)になったら打算抜きに奢ったり助けたりしてあげられたらいいな…

      使うべきところは使って、締めるところはきっちり締める。そんなメリハリのあるお金の使い方が理想ですね(´▽`)

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