『いじめをやめられない大人たち』の感想。

ド直球なタイトルの本『いじめをやめられない大人たち』の感想を少々。

私の勝手なイメージですが『大人のいじめ』というワードを聞いたら、やっぱり職場・仕事がらみのいじめが真っ先に思い浮かぶんじゃないかと思います。

やはり、職場は生命線。
日常生活を送る為のお金を稼ぐ場所ですから、簡単に辞める決断が出来る方は少数でしょう。
だからこそ、耐えがたきを耐える。
それが例え理不尽ないじめであったとしても。
あっさり辞めないだろう…と、そこをつけ込まれてますます調子づく加害者達。
悪循環。

本の中にあった、とある教員が言われた言葉を少々紹介します
※少々編集を加えています。
教師A「子供を産まないと1人前になれないぞ!」

教師B「40歳まで子供産まないでね。迷惑だから」

これは同じ職場で別の人それぞれから叩きつけられた言葉。

この2つの言葉だけでも様々なことが読み取れます。

ブラックな職場環境(人手不足で余裕がない)
パワハラな発言を容認する職場雰囲気。
同じくセクハラな発言を容認する土壌。
…しいては、いじめがはびこりそう。

そんな感じですね。


やはりいじめをするのに最適な(皮肉です)背景・環境が整えられているからこそなんだろうな。

だからと言って『いじめ』が正当化されることは未来永劫ない訳ですが。

いじめは、この本のタイトル通り『やめられない』=『中毒』になってしまっているのかもしれません。

信頼できる同僚や先輩がいれば一時の気休めにはなるのかもしれませんが…
抜本的な解決をするのなら、いじめてきた側の人達も含めて苦しめられている労働環境を改善するしか道はないと思います。

さて、話は少々変わり…
何も『大人のいじめ』は職場に限った訳ではありません。
本に紹介されていたのは、50歳からの同窓会でさえ、スクールカースト制を引きずっているケース。

「いや、50歳ともなれば大体丸くなっているんじゃない?いつまでも子供の頃の妙な関係はないでしょ?」
と思われるかもしれませんが、そうではないこともあるようです。

想像するしかありませんが…昔はスクールカーストという言葉こそないものの、やっぱり序列のようなものは存在していたんでしょうね。
思いっきりまだまだ青い頃の人間関係で接する(もちろん嫌な方向性で)のはどうなんだろう?

よく…
「いやぁ。皆と会うと学生の頃に戻ったようだよ。ハッハッハッ!」
という言葉を聞いたりしますけど、それを無礼講OK!と勘違いしてはいけない。

若い頃の思い出を語りつつも、お互いに違う道を歩き現在があることを念頭に置かなければならない。
それを疎かにしたら…それこそコントかと思うくらい、恥ずかしい大人になるのだろう。

それを頭の片隅に入れておけば『スクールカースト制』は引きずることはないのか、な?

後、印象的だったのは…
ご近所付き合いは現代の村八分。
特に集合住宅等は、密な付き合いになることも多そう。
その中でも社宅なんかは…それはもう地獄(;´Д`)
そもそも会社(バリバリ利害関係)と密だしね。
住人はもちろん…言わずもがな。

気遣い・気苦労が絶えなさそうだし、一歩間違えばそれこそ現代の村八分。
…仮に都会だからって油断召されるな!

と何だか偉そうに語りましたが、ご紹介したのはごく一部&私の意見も入りまくり。

機会があれば、こちらの本を手に取ってみてはいかがでしょうか?

奥が深い…


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